というか、下の投稿で別に昼ごはんについて書こうと思っていたわけではないんだけど、
以外と書いていたら長くなってしまったので、途中区切り。
先ほどやっと写真の整理が終わりました。
とりあえずコンパクトになった。
よかった。
半分ぐらいの写真は処分する事にしたんだけど、
やはり大切な写真のネガは取っておくことにした。
きっと今後焼き増しする事なんてないんだろうけど。
でもなんかネガってthe oneだから、それしかないでしょ、
だから取っておいちゃうことにした。(いくじなし)
で、その後今まで描いた絵の整理。
母的にはこの絵もすべて処分して欲しい!
というのが願いね。
数年間のらりくらりと拒否してきたけど、
そろそろいいか、母の願いを叶えてやるか、
と思い始めました。
私は高校が美術コースだったので、高校生時代の作品が多くて、
さらにデカイ。
これらの処分をまずしようと思い、改めて作品を観る。
高校生時代の作品なので、よちよちですが、
でもエネルギーが溢れているなぁと思う。
やはり処分するのは若干せつないですが、
いつまでも取っておいても仕方がないし、
いずれ自分が結婚して家を出るときには処分しないとだろうし・・・
とか色々考えていました。
30~60号の大きいキャンバスなので、
今ある絵を塗り潰して新しい絵を描こうかな?
とちょっと思ったりもしましたが、
なんだか、高校時代に「作品」として完成しているものの
上から新たに筆を置くのはちょっと気がひけて・・・
やはりこのままの状態で処分する事が、
きっと作品にとっても失礼がない気がするなぁと思ったり・・・。
まだ迷っていますが、きっとこのまま処分しそうだわ。
とりあえず最近の作品やキャンバスたちはまだ手元に残そうーと思いました。
しかし、いずれは処分するものをなぜ制作するのだろう?
とふっと思いました。
本当に、絵を描くとか、作品を制作するってなんだろう?って。
これはもう・・・・・
自己満足以外のなにものでもないですね。
趣味ですね。
結果、作品が自己満足の塊だとしても、
そこから世界が広がった、大切な友人にも出会えた!
と思えば、高校3年間の美術浸りの日々は貴重だった。
やはり。
と、なんか色々考えちゃったよ。
人間というか、命あるものは死を迎えるわけだし、
自分が死んだ後に残るものってなんだろう?って。
きっと自分が死んだらやはり、物質的なものは処分されるだろうし。
そう考えると、残るものって記憶でしかないんだよね。
生きている人たちの中の記憶。
メモリーですよ。
じゃあなんで物質的なものを残そうとするんだろう?
とか考えてループ。
でもメモリーは物質的なものがあってのメモリーだよね。
だからちょっとゴミ出しちゃうけど、
制作して、それらの作品が誰かのメモリーになれば本望か。
ね。
正直今はアートへの執着は昔ほどない。
現実的になったとか、大人になったとか、
そういう理由じゃなくて、「卒業」したんですね。
私にとってアート、美術、作品は自分を表現するツールで、
他者に認めてもらう為の形だった。
今はそれ以外の形でも自分を表現できたり、
他者に認めてもらう事を覚えた。
だから変な執着はないな。
もちろん好きだけど、もう飢えではない。
今は作品が他者とのコミュニケーションツールになればいいなぁと思う。
自分を主張する10代~20代前半は卒業して、
20代後半からはもっと違う意味でのアートを楽しんでいきたいね。
と、色々考えた昼食後でした。


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